なぜめぐり逢うのかを

私たちは何も知らない

いつめぐり逢うのかを

私たちはいつも知らない

どこにいたの

生きてきたの

遠い空の下ふたつの物語

縦の糸はあなた

横の糸は私

織りなす布はいつか誰かを

暖めうるかもしれない 

 

福を味方にする

お正月

節分の豆まき

恵方巻

ひな祭り

端午の節句

七夕

ハロウィン

クリスマス

除夜の鐘

そして「お誕生日おめでとう」

 

 

まつり(祀祭奉政)

感謝や祈り、あるいは慰霊のために祖先や神仏に対して儀式を行なうこと。「まつり」の漢字表記は用途や意味合いによって「祀り」「祭り」「奉り」「政り」などに使い分けている。

 「祀り」は、神に祈ることをいう。神社が行なう祈祷や神楽など。古くは神和ぎ(かんなぎ)といい「そこに宿る魂や命が、荒ぶる神にならぬよう」にと祈ることであり、道祖神や地蔵や祠や塚などはその現れとされる。

 「祭り」は、命・魂・霊・御霊(みたま)を慰めることをいう。夏に行なう「お盆」など。一般には祖先崇拝(古神道)が仏教と習合して伝わっているもの。祭は漢字の本来の意味おいては葬儀であり、日本と中国では正反対の意味と捉えられている。このように本来の祭りは「弔う」ことであるが、慰霊という観点では本質的には同じだといえる。

 「奉り」は、神仏や尊者に物を差し出すことをいう。

 「政り」は、政治のことをいう。古くは祭祀を司る者が政治を行い、「まつりごと」に政の字を当てるようになった。卑弥呼が行なった祈祷や占いは、そのまま国の方針や運命を決める重要な政治であったが、こうした政と祭祀の一致は、地方や町や集落でも、その年の吉凶を占い、その結果により政策実施の時期の決定や指針としたり、旱魃や水害などの自然現象に対して祈りをささげて災難を避けようとするなど中央集権化されていった。。

 

いにしえからの言い伝え

縁起(えんぎ)

「縁起が悪い」、「縁起が良い」、「縁起を担ぐ」などと使われる。良いこと、悪いことの起こるきざし・前兆の意味で用いられる。縁起は一般に「よい事があるように」と祝い祈ることが広く行なわれ、具体的には「初詣」、「節分の豆まき」、「こいのぼり」「七夕のたんざく」「年越しそば」「誕生祝」「神社のお守りやおみくじ」「選挙のだるま」など多岐にわたり、人に幸福をもたらすと信じられている。もとは釈迦が説いたとされる「原因にって結果がきる」からといわれる。

 

開運

大願成就招福祈願商売繁盛、厄除祈念、疫病退散、無病息災、安寧長寿、

家内安全、夫婦円満、子孫繁栄、五穀豊穣、大漁追福、豊楽万民、天下泰平

 福の字を逆さまに貼るのは、福が天から降ってくるようにとの願い。

 

供養 pūjanā(プージャナー、サンスクリット語)の漢訳。

香・花・燈明・飲食供物を捧げて、死者の冥福を祈る仏教行事。

本来は仏などに対するものだが、日本では死者や祖先に対する追善供養としての法要を一般的に供養と称している。また動物等に対する供養、さらには針供養や人形供養のように生き物でない道具等に対する供養もある。

 

法要   abad

初七日 二七日 三七日 四七日 五七日 六七日 七七日 百か日 一周忌 三回忌 七回忌 十三回忌

 十七回忌 二十三回忌 二十七回忌 三十三回忌(弔い上げ) 五十回忌

三毒 貪瞋癡(とん・しん・ち) むさぼり、いかり、おろか   bad

懺悔偈(さんげげ)

我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう) 我いにしえより諸悪業をつくる所

皆由無始貪瞋癡(かいゆうむしとんじんち) みな無始に貪瞋癡による

従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう) 身語意に従いこれ生じる所

一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ) 一切我いま皆懺悔す

※華厳経40巻本の普賢行願品にある偈文

 

十二縁起 無明行識色処触受愛取有生老死 (むみょうぎょうしき しきしょそく じゅあいしゅ うしょうろうし)

煩悩(108)=眼耳鼻舌身意(6)×好悪平(3)×浄染(2)×前世今世来世(3)

 

四端と四徳   bad

惻隠 惻隠の心は仁の端なり。人の気持ちを察して憐れむ心。

羞悪 羞悪の心は義の端なり。不正を憎み恥を知る心。

辞譲 辞譲の心は礼の端なり。へりくだり譲り合う心。

是非 是非の心は智の端なり。善悪・正邪を判断する心。

浩然の気(強い精神力)を養い、徳を実践するを大丈夫(ますらお)という。

 

古代中国の『易経』にある森羅万象の変化法則を解くための8つの基本図像

 

 

八卦 三爻(こう) 陽爻 陰爻   bad

乾(けん) 西北・天・首・父・君・健・馬を象徴

兌(だ)  西・沢(海)・口・少女・悦・羊を象徴

離(り)  南・火・目・中女・心臓・乳房・外見・紛争・赤(紫)色・麗・雉を象徴

巽(そん) 東南・風(木)・股・長女・毛髪・小腸・長いもの・結婚・入・鶏を象徴

震(しん) 東・雷・足・長男・若い男性・始まり・前進する様子・動・龍を象徴

坎(かん) 北・水・耳・中男・内面・秘密・姦計・色情・交渉・冷静・重病・陥を象徴

艮(ごん) 東北・山・手・少男・関節・骨格・再出発・相続・つなぎめ・止・狗を象徴

坤(こん) 西南・地・腹・母・胃・大衆・婦徳・補佐役・鈍重・迷い・順・牛を象徴

 

季節は、古より巡り回り繰り返す

 

二十四節気(じにゅうしせっき)  太陰太陽暦(閏月調整) 二至二分四立=八節  abad

立春 雨水 啓蟄 春分 清明 穀雨

立夏 小満 芒種 夏至 小暑 大暑 

立秋 処暑 白露 秋分 寒露 霜降

立冬 小雪 大雪 冬至 小寒 大寒 

… 立春(正月) 雨水(春節) …

 

なぜなんでどうして ~無知からの脱出~

 日常の習慣や社会の常識として、何の疑いも無く当然の如く行なっている事が多くあるが、実はそれぞれに由緒や根拠があり、いままで訳も気にせずに、ただ従っていただけの事の本当の意味や理由を知ると、ちょっとだけ嬉しくなったりする。この喜びが大切で、それは福の始まりになる。

 

運命

 

環境が変われば、意識が変わる

意識が変われば、行動が変わる

行動が変われば、習慣が変わる

習慣が変われば、精神が変わる

精神が変れば、現実が変わる。

 

つまり運命は、人の意思を超えて人に幸福や不幸を与える力のことではなく、人が人間として意思を堅持して自己を変革しつづけることによって実現されていく結果にほかならない。

自分が思う主観的自分と、他人が思う客観的自分は、本来は同じで一つである。

人として生まれて来て、おいしいとか、うれしいとか、たのしいとか、そういう五感を満たす喜びだけで十分といえるだろうか。

鄭成功祭 ていせいこうまつり   7月14日生誕

 

台灣開祖… 近松門左衛門『国姓爺合戦』の主人公。

海賊王… 『ONE PIECE』を彷彿させる実在の英雄。

和魂… 九州に出生、母は長崎平戸藩士の娘

その大志と勇気と叡智、三千世界に比類なし。

 

1609年、オランダは平戸にオランダ商館を設置する。

1609年、薩摩は首里に侵攻し琉球国を支配下とする。

1621年、鄭芝龍は平戸に上陸する。(中国福建の海商)

1624年、鄭成功は平戸で生まれる。(鄭芝龍の子)

1624年、オランダはタイオワンにゼーランディア城を築く。

1647年、鄭成功は「反清復明」のため義挙を起す。(23歳)

1661年、鄭成功はオランダを追放し臺灣開祖となる。(37歳)

 ※のちに250年の時を経て再び「反清復明」の旗を掲げる者が現れる。それが孫中山だ。

 

 草莽節  そうもうせつ 8月4日生誕

 

  文政十三年(1830)八月四日、長州萩城下松本村生

  嘉永五年(1852)脱藩東北遊学

  安政元年(1854)米国渡海交渉

  安政五年(1858)老中間部詮勝要撃画策

  安政五年(1859)十月二十七日、江戸伝馬町獄斬首

フィシャルシェルター協会